昭和41年06月17日 夜の御理解
皆さんどうでしょうか、本当にどんなに考えても神様の、御守護受けておる印だとか、ね、神様のこういう不思議な働きの中に、お生かしのおかげを頂いておるんだと、言う様な実感の中で、過ごさせて頂きますと、信心生活が楽しい、もっと楽しい有難いものになると思うんですね。今日は正教さん、竹内さんが、昨日の十一時、やがて十二時頃から、ここを発ちまして、熊本まで歩いて帰っております。あちへは試験がございますので、その受験に帰りました。
丁度二十里からございますところでございますから、それでもう、まぁ始めの十里ぐらいはまぁ一時間一里歩きましてももう、十時間で着くのですけれども、あと五里、三里、二里、一里という事になったらもう本当にこの、それこそ這うようにしか、歩けなかっただろうとこう思うのです。ね、ですから丁度、三十二時間ですか、かかっておりますです、ね。先ほど電話がかかってまいりました。
私はあの、お食事を頂きよる時に、あの今朝からこの神情と人情ということの中に、それが一つにしたような、おかげを頂かなければならん、神乍らだけではいかん。尊い言うならば、最高の人情も使わなければいけないと、言った様な意味の事も頂いておりましたから、私あのちょっと電話をかけてみようと、で電話をかけさします時にはまだ着いとらん。それからもう何分かしましたら、また電話をかけて参りましてですね。
もうほんの4、5分もございませんでしたでしょう、もうあいものを引っ返すように、電話がかかってまいりました。ほれで「只今着きましたから」と言うて電話がかかってきた。そう言う様な事でもですね、神様のその本当に不思議な、あの働きというですかね。例えば、伊万里のお父さんの方に致しましても、熊本のお母さんの方に致しましてもです、「あぁそうですか、あの人が歩いてからこちらへ来よりますか」と、こう思われたに違いないです。
それどころがまだ着かんもんですから、あそこへんの何分かは、白真剣に金光様を唱えにゃ居られない様な所だったろうと思うですね。そして「はぁそうですか、そんならば」と言うて恐らく弟の方を、「なら兄ちゃんをどっかその辺まで、今来よるから迎えにでも行きなさい」という口もない、暇もない程に着いとります、ね。この辺が何とも言えん神様の演出というものは、素晴らしいと私は思うですね。いつも「私が思いよるとじゃないなぁ、私が電話かけさしたっちゃないなぁ」という風に思うんですよ。
例えばその事だけでも、まぁおかげで、まぁ無事にその到達のおかげを頂いておる模様でございます。今日そんなわけでございましたから、ほらぁもう本当に、まあ言うならば一生懸命以上に一生懸命で今日は、あの若い元気な人が、もう最後の力を絞らなければ恐らく、熊本へ到達は出来なかっただろうと思いますがね。そういう修行としとりますから、今日私いつも足を揉みながら、ここちょっとこう休ませて、仮睡さして貰うんですけども、今日は眠れんと思うてから、私もそのまっ眠りませんでした
。一睡も致しませんでした。その着いたという電話を受けましたら途端にこうゆるみが来てから、その眠気がくるんですね。それがあのちょっとあそこ二、三十分足を揉ませて頂きながらクルッとこう、まぁ仮睡いたしておりましたら、お夢頂いてるんです。もうそういうお夢ん中なんかでもですね、不思議だなぁ神様の働きとは、どこがどういう風になったらこういう風に、あの御神夢なんかっていうのは頂くのだろう、私はいつも思うんです。毎日例えばお知らせを頂きます、御心眼を頂きますでもそうです。ね、
昨日なんかも、私あの福岡の徹さんが一生懸命こちらへ、向かってきよるとこを頂きますもん。「はぁ来よるばいな」と思うてお届けさして頂きよりましたら、それから五分ばっかりしましたらここへ着きました。「徹さんあんたがね、一生懸命椛目に向こうて来よるということを、神様が見てござる知ってござるではなくてね、その信心を受けてござるという印が分かるじゃないか」と私が、ね。その前の日もそうでした。
いつもちょっと、昨日の一昨日です、一昨日が、ちょっとお参りが、いつもよりも五、六十人少ないんですね、百七、八十お届けがあるのに、百二十ぐらいしかあっとらんのですよ。これだけはもういつも私が、ここんところにお届けさしてもらうんです。ところがその翌日、その事を御願いさして貰いよりましたら、今日熊本からですね、団体でお参りをしてくるとお知らせ頂いてんですよ、昨日。「あぁ団体で参ってくるばいの」と思ったらその、こんなに厚いそのお初穂とお届けが、丁度六十人分ございました。
熊本からの、「ははぁこの事が団体参りじゃったばいの」と私は思うんですがね。団体でお届けがあるんです。きっちり六十名でした、ですから「ははぁ前日の分まで」おかげを頂いたですね。昨日はまたそれに過剰なくらいに、い、沢山お参りがあっとりますから、ね、前の日足らんところは、明くる日補って下さっておると言う様な、働きなんですよ。ね、成程手紙であろうが電話であろうがです、この神様はこっちが聞き届けて下さっておるということは、もうおかげを受ける印ですね。
だから皆さんそういう言うなら、不思議な働きの中に日々あるんですよ。ですからそこんところをです、もっと不思議に、そういう御守合を受けておる事の、事実をですね、どこかでこうキャッチしていかにゃいかんです。ね、例えばその私仮睡しております時に頂く事はです、久富先生と久保山先生が、そこんとこの両方にですね、丁度、こうなんか、(やまいん)ば、こう置いたように、それ、( やまいんばおいて )ござる感じで、それであの装束を付けておられるんですよね。
あのあげな椛目で付けとる装束じゃないです。あの普通本当の装束、勝彦が着るような装束なんです。それでこうえ帽子した時にもう、可愛らしいふうに着てからそれが、久富先生はこちらの、右の方へこう倒れ掛かっておる感じで、こちらのほうは両方ながら、こう斜めに倒れ掛っておってるとこを頂くんですよ。それでハッとそれで目を覚ましてから、すぐ頭からこう水かけてから、目を覚まさせて頂いたんですけれども、結局「お前が眠ると皆も眠るぞ」ということだと私は思うたんです、ね。
本当に、結局あの夢の中でもですね、中心になるという信心が眠ったら、一家中の者が眠ります、私が居眠りしたら先生方が寝ってしまいます。それで私はあのお夢で( )二人共お夢に頂いた通りに、右と左に倒れているもんですね。私はこれじゃ本当に、驚くやら不思議やらと感じましたです。もう今日の様に本当に作った様にですね、あのお夢なら見よるなら、こういう風にならんで、こげなふうに寝ちゃる二人ながら。成程なら、私が眠ったらいけんっていけんからじゃろう、先生方を眠らせちゃった。
私がちゃんとするなら皆もちゃんとする、と言う様な意味の事を頂いたんだろう。パッとこう目を覚まさせて下さるんですね。でそう言う様な働きもですたい、これはもういつもの事ですけれども、不思議と思わにゃおられんです私は。どう言う風な事がどう言う風になってこれはあげなん風な、その神様のお知らせとかというものは、あるんだろうかと思うてですね、これは私だけではありません。皆の上にもそういう働きがあるです。椛目に御縁を頂いておる方達の上に、皆そう言う様な働きがありよるです、ね。
それを皆さんの信心でその、キャッチされる。ね、そこに本当に信じさせて頂いとらなきゃ分からん、有難さというものをです、身近に感ずる事が出来るのですよ、ね。どうぞ一つ折角信心さして頂くのでございますから、ただ参って拝むおかげを頂くというだけではなくて、ね、「一足でも無駄にはさせんと仰るけん、まあ無駄にはならんじゃろう」のようじゃなくてです。無駄になりよらん印をはっきり、心に感じさせて頂きながらです、日々信心生活さして頂けるようなおかげを、皆さん頂かにゃいけんと思うですね。
どうぞ。